私の娘は、白目を剥いたかと思うと、その場で意識を失なってしまった。 ほんの少し前まで妻の腕の中で泣いていた愛娘が、今は不思議なほどに静かになってしまった。私と妻は、急いで救急病院に向かった。医療チームが、問題の原因を追求している12時間の間、娘は10回もの発作を起こした。 次の週には、救急車で搬送され、発作を抑えるために点滴を立て続けに受け、様々な神経系の検査などのため、娘は二度の入院を余儀なくされた。結局、原因がウイルスへの強い反応の可能性があると判断されたが、不確実性がさらに事態を悪化させた。 その日曜日、私は、あまり居心地の良くない病院の簡易ベッドからぐったりと起き上がった。というのも、説教の依頼を受けていた別の教会に向かうためであったからだった。説教の準備をする時間が無かったにもかかわらず、私は、この一週間、詩篇4章にある真理を実際に経験していたのだった。 必死の祈り 詩篇4章で、ダビデは自分の命の危険を感じながらも、窮地に立たされた際の正しい対処法を教えてくれている。まず、第一に、私たちは、真っ先に神に依り頼まなければならない(1節)。娘が待合室で発作を起こして、自分たちが救急治療室に駆け込む場面は、まるで映画の中の一場面のようだった。病院のベッドの上に横たわる娘の体はとても小さく見え、その無反応な我が娘を医療専門家チームが囲んでいるのを、妻と私は成す術もなくただ見守る事しかできなかった。娘の無事をとても心配していたが、私たちは、本能的に自然と神に向かって叫んでいた。私たちの祈りは、切羽詰まった短いもので、うまく表現できたものではなかった。「主よ、私たちを助けてください。娘の命を救ってください!」と。 過去に私たちが経験した神の誠実さとそこにある神の本性への確信は、大混乱の中にあっても神の主権を思い起こさせてくれた。 そこで、ダビデは、詩篇4章において、罪深い思い煩いの3つの兆候について警告している。 恥と罪の意識 私たちは他人の嘘を耳にすると、恥と罪の意識を感じることがよくある(2節)。一旦、当初の恐怖感が薄れると、親として「もっと早くに娘を連れて来るべきだったのだろうか。何か、間違ったことでもしたのだろうか。」と、自分自身を疑う気持ちにかられた。そんな時、私たちは、キリストにあるアイデンティティを思い出し、そのような嘘をねじ伏せなければならなかった(3節)。それは、私たちは選ばれ、愛されている。そして、守られ、大切にされている。例え、親として失敗をしても、その罪は赦され、罪の意識は取り除かれる。神の子であるのなら、神は私の家族を見離し、私たちを見捨てることなど決してない。 罪深い怒り また、ダビデは、罪深い怒りに対しても警告している(4a節)。最初の夜、私の妻は、新たな発作が起こるのではないかと過剰に警戒しながら待っていた。次の夜は、私の番で、何時間も叫び声を上げ、点滴を引き抜こうとする娘を押さえ付けなければならなかった。眠れない夜が2晩続き、新たな後退が起こる度に、絶え間無い恐怖に襲われ、私たち夫婦は、お互いにキレそうになっていた。病院スタッフに対する不満が募り、罪深い怒りを避けるため、苛立ちの言葉を口に出さないようにしなければならなかった(4b)。私たちは、何度も自分たちの罪深い思いを悔い改め、神に依り頼んだ (5節)。私たちの怒りは、深い不安に根ざしたもので、主だけが取り除くことのできるものだった。 神への疑念 最後に、ダビデは神を疑い、不安に駆られて絶望に陥ることを戒めている(6a節)。不安な最初の数時間、最悪な事態を恐れる気持ちに駆られ、絶えず、神の善意と慈しみを信頼するよう自分たちに言い聞かせなければならなかった(6a節)。そうして初めて、試練の中で神と共に喜ぶことができたのだ(7節)。ダビデのように(8節)、一旦、娘のことを主に委ねたら、居心地の悪い病院のベッドで安らかに休むことができた。チャールズ・スポルジョンは、このように述べている。「神の主権は、夜、神の子が頭を休める枕であり、完全な平安を与えてくださる。」私たちが、娘の健康に感謝しない日は無い。しかし、困難な時に与えられる神の永遠の平安のことをより一層感謝している。 不安で夜も眠れない時に、次の助言は、詩篇4章の理解とその応用のための知恵を私たちに与えてくれる。 詩篇4章の理解 詩篇4章では、ダビデが、祈りを通して、真っ先に神に依り頼む様子がわかる。(1節)。そして、安らかな気持ちで眠ることができるようになるに当たって、不安を感じた時に取りがちな罪深い行ないへの対処法を3つ挙げている(8節)。まず、神における自分のアイデンティティを思い出し(3節)、嘘つきの悪人を戒める(2節)。次に、彼らに悔い改めを呼び掛け、(4節)、怒る者たちを正す。そして最後に、主にあって喜ぶことにより(6a―7節)、絶望している人々に安心を与える。 ダビデは、聖書の約束を通して、主にある自分の契約のアイデンティティについて深く考えている。 彼の契約の神ヤハウェは、ご自身の民を義とし(1節)、彼らの祈りに耳を傾けてくださる(3節)。 イスラエルの子として、ダビデは契約の子であり(出エジプト記3章14−15節)、油を注がれたイスラエルの王として、国の契約の代表となる者である(サムエル記第二22章51節)。 さらに、「主は、神を敬う者をご自分のために区別された」(詩篇4章3節)。神の揺るぎない愛を受け入れる「神を敬う者」を、他の国々とは異なる者として「区別されている」(出エジプト記33章16節)。 次にダビデは、義のいけにえを捧げ(詩篇4章5節)、祭司の祝福を受けるよう神の民に呼び掛ける(6節;民数記6節24−26節)。これらはどちらもイスラエルだけのものである。 これらの約束により、ダビデは、安らかに眠ることができる 詩篇4章の応用 あなた自身の人生で試練に直面する時、イエス・キリストにある新しい契約のアイデンティティを思い出して欲しい。 イエス・キリストは、あなたの義であり、救いにおいてあなたを義とされる方である。 あなたは選ばれ、愛されている。 あなたは祈って守られている。 あなたは罪から解放され、罪を赦されている。…